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コラム-2「日本的なる物」

地球家族という本があります。
世界各地の普通の家庭を回って、家の中のものを全部外に出して家族と一緒に撮影した記録です。近代的な集合住宅に住んでいる家族や伝統的な「民家」に住んでいる家族もいます。身の回りの僅かなものだけで簡素に暮らす人もいれば、ひたすらものに囲まれて暮らす我々日本人もいます。
それぞれの国の物質的生活が示されている訳ですが、図らずも精神的内面までも垣間見えるようです。
自分の身の回りに日常的に接し、なじんでいるはずの日本の風景が何故か一番異質に見え不思議な気持ちになります。ここに写っている家は何処にでもある普通の住宅です。残念ながら「古きよき日本」の民家ではありません。
これが世界から見た場合の「日本の家」なのです。

さて、民家は日本の文化財・日本人の原風景というような意見もありますが、果たしてそうなのでしょうか?つい最近まで庶民のほとんどは家を持たず、畳・床の間とも縁のない暮らしをしていたはずです。民家で暮らした体験のない人間も多いのではないでしょうか。
「日本的」というのも実は数ある可能性の中から選択され、完成されたひとつの形式であり、必然ではないと考えています。本来はもっと多様な選択肢をもっていたはずで、いつのまにか「数奇屋」などに代表される「侘び寂び」的美意識が「日本的」なるものの代名詞になってしまっているのではないでしょうか。
多様性・無名性が民家の特徴であり、現在まで伝えられて日本文化の代表するいくつかの芸術・芸能もこのような中から生まれ育ってきた物ではないかと思います。

今自分たちが生きている時代の、限られた場所と技術と素材と、そのとき与えられた条件でしか成り立たない建築があると思います。ですから必ずしも、昔のやり方に(本物)にはこだわりません。古きよき時代も懐かしいかもしれませんが、過去の技術や文化が変化し、消えてゆくのも歴史の必然でしょう。

今はお仕着せでない、自己決定可能な家つくりの場を作り上げることの方が重要なのではないかと思います。
「一見とんでもないけど、この場合は正解だった」といえる建築を作りたいと考えています。